あつしまにあ

~酒と音楽を愛する男の雑談~

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寝苦しい夜が明け、曇り空で朝を迎えた函館。


パパさんは、疫病神を振り切るかのように早々に出発。函館を去って行った。

残った一同は、朝食に函館名物の「やきとり弁当」を購入。
珍しそうにその弁当の写真を撮る本州から来たライダーたち。
私にとっては、その姿の方が珍しくて、弁当ではなく彼らにシャッターを向けた。

その後、F・Yの両氏も目的地へと出発。
疫病神の最後を私だけが見届けることになった。
電話では、午前中に早々と修理は終わったということであった。

前日、あれほどの時間をかけたにも関わらず直らなかったことを考えると、午前中に修理が終わったとは意外であった。
しかし、そこはプロ。複雑な修理でも頑張って早く終わらせてくれたのだろうと思い、素人の私にはわからないことだとしても、一日付き合った者として修理箇所は是非聞いておかなければならなかった。
私は、I氏と共に修理箇所を店の者に尋ねた。
すると彼は言った。


「(エンジンを着火させる)プラグを取り換えておいたから


「えっ!?それだけ!?」


これですべての謎は解けた。


I氏は青森でガソリンを給油したが、古いバイクである上に、大量の荷物まで積み込んでしまったために、大間の港へ向かう間にI氏の想像以上の燃料消費を起こし、函館港に着いた時にはガソリンはすっかりなくなってしまったのである。

しかし、I氏はメーターがないためガス欠に気付かず、ガソリンはあるとばかり思い込み、他の者もそれを信用して、別の箇所をいじってはキーを回してエンジンをかけようとし続けた。

だがこれは、スパークプラグを弱めるだけにしかならず、ようやく夕方にガス欠の可能性を見い出しガソリンを補給した頃には、スパークプラグはすでに瀕死の状態になっていたのである。


つまり、早々にガス欠に気付いていれば、スパークプラグを取り換える必要もなく、当初のI氏の目的地であった小樽へ、その日のうちに到着することができたのだ。


結局、前日交換したバッテリーも元の物に戻され、I氏のバイクは、函館で一泊二日をかけ、ガソリンを補給し、スパークプラグを取り換えただけで終わった。
私は、くれぐれもガソリンスタンドの無いような脇道にそれないよう釘を刺し、I氏と店の前で写真を撮影して別れた。


その後、この話が私とパパさんにより語り継がれることになったことは言うまでもない。(おわり)
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徐々に暗くなり出した函館のフェリーターミナル。

バッテリーを交換したI氏のバイクは、やはり何度キーを回しても動いてはくれなかった。
いよいよ素人では万策尽きた私たちは、先ほどバッテリーを購入したバイクショップから、入院*も覚悟の上でトラックで技師に来てもらうことにした。

バイクショップの男は、いろいろ調べたがやはりエンジンはかからなかった。
しばらく悩んだ男は、やがて一つの原因を口にした。


ガス欠じゃないのかい?」


ガソリンのメーターがないため、「ガソリンはまだある」というI氏の断言だけを頼りに、これまでずっと原因から除外されてきたガス欠。

しかし、他のあらゆる部分をチェックしてもエンジンがかからなかったことを考えると、持ち主のI氏を信用したい気持ちもあるが、もうこの部分に触れないわけにはいかなかった。

I氏と男は早速ガソリンスタンドへと車を走らせ、ガソリンを購入。バイクに給油を始めた。


すでに辺りはすっかり暗くなり、昼間の太陽に変わり、街灯と車のライトが街を照らしていた。
私たちは、エンジンが回復して入院の事態が避けられることを願っていた。
しかし一方で、長時間いろいろな箇所を調べ、バッテリー交換のために店へ行ったりした苦労を考えれば、たかがガス欠で解決してしまうのは、何とも情けないことのように思われた。

給油の終わったバイクのキーをI氏がひねる。


結果は・・・、やはりガス欠であった。


私がフェリーターミナルに呼び出されて約五時間・・・。
解決のために駆り出された人数は六名に上り、さらにギャラリーも数名現れるほどの大事に至ったにもかかわらず、結局すぐそばのガソリンスタンドで手に入れたガソリンだけで、やっとエンジンがかかったのだ。


しかし、この代償はもっと大きかった。
フェリーで北海道にやって来たライダー四人は、函館到着後もバイクを走らせ、夕方には思い思いの場所でキャンプするはずであった。
だが結局、I氏のトラブルに付き合わされ、函館に足止め。
全員を私の部屋で収容することになった。


だが、それでもなお疫病神が抜けることはなかった。
エンジンはかかったものの、今ひとつ出力の上がらないI氏のバイク。
結局、駐車場内を回ったものの、やはり調子は悪く、バイクは店のガレージで一日入院することとなった。(つづく)



*入院=この場合は、バイクを店に入れて修理してもらうことの意味で使う。
I氏のバッテリーを持って店の奥へ消えた男は、なかなか戻っては来なかった。

しばらく待って、男はようやく同じバッテリーの在り処を見つけた。店のバイクに取り付けられていた中古品だった。
それでも、I氏の持参したバッテリーよりはきれいだったので、結局それを購入することとし、古いバッテリーは引き取ってもらい私たちは港へと戻った。

港へ戻ると、すでにネジの問題は解決されていた。
フェリー待ちの中年の男が、合うネジを見つけてくれて、取り付けてくれていたのだ。
「これでバッテリーも取り替えれば!」俄然士気の上がる私たち。
ついに問題は解決かと思われた。
期待に胸をふくらませ、キーを回す。


ついにこのバイクのエンジン音が聞け・・・、ない。何で???


またしても炎天下での作業は続くこととなった。
ありとあらゆる場所を見、正常かどうかチェックする。
しかし、何度キーを回してもエンジンは動き出してくれなかった。


そうこうしているうちに、青森からやって来たフェリーが到着した。
ねぶた終わりのライダーたちが、大勢北の大地へ繰り出して行く。
そんなライダーの中に、パパさんとねぶたで一緒になり、祭り後は別行動を取るはずだったF氏とY氏がいた。
彼らは下船するところをパパさんに見つかり、この苦闘の道連れにされてしまった。

バイクを調べる人間は増えたが、やはり何度キーを回してもエンジンは動き出してくれなかった。
そして、何の変化もないまま時間は過ぎ、ギャラリーは増える一方であった。

フェリーターミナルの職員は、フェリーが到着するたびに事務所を出て、本州から来るフェリーを出迎える。
初めは無関心だった彼らも、さすがに三、四時間も経過すると、心配そうに声をかけ、壊れたバイクを見つめていた。


私の後ろにも、いつの間にか一人の老人が立つようになった。
齢八十にはなろうかというその老人も、心配そうに作業を見つめていた。


「ことによると、この老人も若かりし頃はバイクにまたがり、北の大地で風になっていたのかもしれない・・・・・・」



しかし、ロマンと違い現実は非情である。


「おじいちゃん!?そんなとこで何やってるの!?」


老人は、娘に手を引かれ、背中に哀愁を漂わせて待合室へと去って行った。


そんなやりとりを尻目に、I氏のバイクはどんなに調べられ、どんなにキーを回しても動いてくれなかった。

気がつくと、ギャラリーはいなくなってしまっていた。
そして、老人の背中以上に哀愁漂う色が、真夏の空を支配し始めていた。(つづく)
この話はノンフィクションです。


2005年8月8日。青森では前日にねぶた祭りが終わり、その熱気が津軽海峡を渡り函館へやって来たような、とても暑い日のことである。
千葉県に住むライダー「パパさん」も、ねぶたの会場を離れ、大間からフェリーに乗って函館に到着。
午後1時頃、私に電話が入る。

「すぐにフェリーターミナルへ来てほしい」

昔世話になった私が、こう言われて動かないわけにはいかない。


急いでフェリーターミナルに着くと、パパさんのバイクの隣に古いバイクが止まっていて、いろいろといじられている。
その傍らには、古いバイクには可哀想なくらいの大量の荷物が降ろされていた。

聞くと、このバイクの持ち主は大阪から来たI氏のもので、ねぶたでパパさんと知り合い、ねぶたが終わって別れたはずが、大間でパパさんがゆっくりしている間に二人は港で再会。結局同じフェリーに乗る羽目になり、函館に着くとI氏のバイクは全く動かなくなってしまったのだいう。
パパさんにとっては全く災難である。そして私も函館に住むパパさんの知人として、面識のないI氏の災難を被ってしまったのだ。

故障箇所は二つ。
一つは、クラッチの部分のネジが外れていること。
もう一つはさらに深刻で、エンジンがかからないことであった。

I氏は、「青森でガソリンを入れたのでガソリンはまだある」と言っていた(ちなみにこのバイク、ガソリンのメーターがない)。
そのため、パパさんは他の原因を探った挙句、バッテリーを交換すれば良いのではないかと考えたのだが、函館の専門店を二人とも知らない。

そこで私が呼ばれたのだが、バイクに乗らない私に聞かれてもわかるわけがなかった。
ど素人の私は結局電話帳を検索し、近くにあるバイク店へ、I氏と古いバッテリーを隣に乗せて車を走らせた。


真夏の午後。日差しはまだ激しい。
バイクショップのうちわで扇ぎながら、私とI氏は店員の動きを見守っていた。(つづく)
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